子育てブログ ~ダメ親からの脱却~

インターに通う姉・弟の時にマンガあり、動画ありのブログ

そうだ!4歳児に平仮名を教えよう

4歳児、未だ平仮名を覚えず^_^
いいねん、全然。そのうち嫌でも頭に入っちゃうもんやから。

でも、これなんて書いてあるん?攻撃対応に面倒臭さが立ち込める。
もう一人で読んでくれぇ〜
私はゴロゴロしたい。。。

こうなったら覚えよう作戦を決行するのだ。

「4才 平仮名 覚える 遊び」

ヤホーレッツ検索したらまぁ、、

うちの子まだ平仮名覚えません!書きません!興味を示しません!どうしましょ!!みたいなページがズラリ(笑 

悩みすぎやwww
本読んだれ。カルタしたれ。
単語帳に平仮名書いてカルタでもしたらいいとです。

あぁ、そうだ。そうしようw

検索の意味なし((((;゚Д゚)))))))

ちなみに、ネットの世界には親切すぎる方が多くいらして、100キンでアルバムシート調達して(ノリを貼るのが面倒だから)こんなんであそんでたらむっさ覚えるで。私も30にして全国を初めて覚えたwwwおそっ

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子育て絶好調だった私
子供達はアホになるわ、良いことずくしだったわけですが、、、

来たよ壁!

私自身の問題なわけです。
子供とうまくいかない、子供にイラつく。そういう時は100%自分の問題を親子の関係の中に映し出しているのです。子供を動かそうとして、コントロールしようとするなんて頭っからおかしな話。
まず自分と向き合えよ!です(笑

、、、子供達の自由は願ってきましたが、これは上辺に過ぎず、ついに核心「我自由になりたまえ」がやってきたのです。

自由になることから縛りまくり、休むことを良しとせず、悪者にもなれず、結局自分を守りまくり、あげく疲れ毒を撒き散らす自分から鼻垂れよ!!

なんつー変換してくれんねんw

放たれよと!

常に親をチラ見しながら、安全パイを切り続けてきた私が。。、
選択のほとんどを両親が良しとするパイを切り続け、全く自分の人生というものを背負ってこなかった卑怯者が。。。

YES!100%守りの人生!

しかーし!!
ついに舞台で1人立つ気分( ̄▽ ̄)

さて、どうやってこの壁を越えてやろうかといったところ。

壁上等!ガンガンこいやーーー!

○子供の質問に全力で応える◯

○子供の質問に全力で応える◯

1+1=1はなんで間違いなん?!

出たコレwww定番の疑問ですやん

間違いなんかぁ?とぼやかして、考えてたんだけど、ついに説明のつくものを見つけた(と思うw)

粘土で1gの玉を2個作るやん
足したら1個になるやん。
だから1+1=1これ正解(≧∇≦)

でも重さをはかってみたら、、
1g+1g=2gとなって
1+1=2となり、これも正解。

見た目とその中に隠れてる数学的法則どちらも説明できるのでは。。

まぁ、この方法だと重さをかえれば1+1=10gとかもあり得るわけである意味夢オチ的なんでもあり感あふれる提示ではあるのだけれど、そこはあははははと言っておこうwあとは子供に任せたw
丸投げ万歳!

ベイマックスを見てきた(●-●)

生きてく時間の中にポツリポツリと人生の分岐スイッチなるものがあって、こっちが正解なんてものはまるでないのだけれど、分岐というものはあちこちにある。。と思っている。

それは大きな分岐からほんの少しそよ風程度のものまで大小様々。

だけど「どれだけ何を持って歩いてきたか」でその分岐スイッチの指す方向というものも違ってくるようにも思う。

たまーに、ごくたまに

あ。人生の歯車ピース見っけ!

と閃きに近い感覚を得る時がある

そしてそれを久しぶりに感じたのがこの映画だった。

ベイマックス

チビの担任の先生が、冬休み明け早々キラッキラと目を輝かせて「見た?見た?絶対好きだよ!沢山の実験や元素や、、とにかく好きだと思うよ!」

注:英語なのでニュアンス理解

とモンゲーオーラで話してくれたので、、プライベートで見たであろう映画でうちの子を思い出してくれるなんて嬉しかった。

それから熱騒動ナドナドで3週見送りやっと見てきた。

あぁ。。運命変わった。
スイッチ踏んだ。歯車ふってきた。

どう変わろうがいいのだ。
その瞬間があったから。

ベイマックス、、これはちょっと、でかい起点やったー( ̄▽ ̄)

世界は急に、、、

わけわからん。うまく説明もできん。

ただなんとなく今までの過去だとか未来だとか、カッコつけた自分だとか、悪い自分だとか、走馬灯のように思考を走らせていた。というか、感覚が流れていくのを文字にして頭の中で追っていた。

ふと、、、

むちゃくちゃ許されてる!っていうか、許すとかもともとないし!みたいな。


というところに落ちた。

一人やん。

自分一人。寂しいとかじゃなくて
良い感覚の1人。


、、と、同時に今までどれだけの時間を「許しを乞う」ことにさいてきたのか、

私は「許し」を誰かから「許可」されることを望み、それを得るためにどれだけ言葉を作り込んできただろう。嘘もついた。

許可を得るために。

バッカじゃないのーーーー笑笑笑

なんだ。さらに軸が自分と同化した。
ごちゃついた世界がスッキリとした。

ある意味、超自我を超えた気分w

許しを得ていたのも私。
許しを与えていたのも私。
他人に求めたところで、許可を得てそれは安堵であったり、起爆剤でありを実行を許すか否かは自分で決めるやん。良いことも悪いことも。


じゃぁやっぱ自分なんやんかぁ!

バカァ!!

生きます( ̄▽ ̄)/


仮免:落ちた!!

かりーめーーん!


落ちたよ(´Д` )


一時停止忘れたよ。即アウトだったよ。泣いたわT_T


まぁそんな時に思い出すのはまたこれ幼児教室の先生の言葉なんですけどもね。。


「あんたー大学どこー?」

って聞かれた。


「なんやー。なんでそんなとこ行ったんや〜。失敗してもっとアホなところ行ったらよかってん」


、、なんの話かといいますと、


私があまりにも子供を受け入れない。それも子供ができないことについて。


「できないことを可愛いと思わないなんか、どうにかしとる!」という話。


「あんた失敗しなさすぎや。守られすぎか〜?過保護か〜?

でもなぁ、失敗したらええねん。失敗したら許せるようになるねん。相手も許せる。分かるか。ストレートにいくことがいいことちゃうし、守ることなんかアホを育てるんやぞ〜。考えさせろ。任せろ。あんた自分をできへん人って心底思えるか〜?」


当時全く思えませんでした。怖くて。


できないことがイイだなんて恐ろしすぎて思うことすらものすごく勇気がいったけど、確かにアレもコレもできない。


それから、、もう1年ですかねぇ


完全に私はできるやつではない事を堂々と知ることになり、だからと言って劣等感とか罪悪感とか、「できないもーん」とかいうひねくれもない。


同時にやはり子供にも寛大、、というか、普通になった。

できない。いいやん〜という言葉が実態をもって口から出るようになった。そしたら頑張ってる過程がよく見えるようになった。


人は変わらなくても自分が変わればこうも見え方が違うのね〜笑


だから私は今日


おーちーたーーーー!と子供に泣くw1ヶ月なんだかんだ言い訳しつつ教習所行かなかった事も、でも次頑張ることも素直に全部聞いてもらうwそう。聞いてもらう。

いや、聞いて慰めてもらうwww


ということで、落ちました!

また来週頑張ります!!!

ズルっこ

先日の幼児教室でのこと。


100マス計算

娘はセコ技使ってやってたのを先生に見つかったwたす数が、前の段のたす数より2大きいから前の答えに2だけ足していくという、小学生ならあるあるでしょうw


「あんたーー!ちゃんと計算してないやろーー」


娘:ニヤ


「そういうやり方もあるだからズルとは言わん。そっちの方が楽やもん。楽な方法知ったらそっちでやりたくなるわ〜。


でもなぁ、今楽せんとゆっくりでも時間かかってもちゃんと計算してるやつと、将来差はつくで。そいつの方が計算早くなる。今は遅いけど、いつかめっちゃ早くなる。その時あんたはそいつに負けるかもしれん。


まぁ、この方法で楽したら困るといっても、今頑張ったやつに負けることくらいや。


今楽するのか、この先負けるのか、正直、大きな問題ではないけどな、考えてみ〜」


娘:沈黙


私ならこれをズルと決めつけ、ただズルしたことをダメなことと怒っただろう。


ただ真実を伝えた上で考えてみ〜どっち選んでもいいわぁ。と言う先生。


確かに8+3がそんなに早く出来る必要なんて小学生までくらいだろう。大人になるまでに何回もやって覚えちゃうくらいのもんだし。


娘に今必要なのはズルするな!と怒ただ禁止されることではなく、この行為がどういうものなのか教えられ、自由の上に選んでいくことだ。


教えられますなぁ。


ズルだから絶対やってはいけない!というのでもなく、ズルしたら将来困ると漠然とした罪悪感を持たせて禁止されるのでもない。


よく生きる事を望まれている空間。でも何者になることも期待されない空間。それ故「個」が伸びはじめる。それは私たちにとってとてつもない学びの空間なのです。


面白かった(≧∇≦)