文字が読めるということ
早くから文字を教える事についてはいささか色んな考えがあり、これといった正解は今のところない。まぁ、あらゆる事象における正解なんてあってないようなもんなんだけど。
しかし、文字獲得の過程において極端な例があるなぅ@我が家であります。
文字は早くから覚えた方がいいの?悪いの?について考えてみたいと思います。
文字を読み出した頃、
「わ、、に、、 わーにー、、」
「あ!ワニかっ!」
こんな調子で「文字を音にする→音からそのものをイメージする→そのものだと分かる」という過程が見て取れ、面白いなと思ったものです。
一方、弟は文字より元素に突進した為、そっちへ行け行けと言わんばかりに、
H 水素!1番〜(*^o^*)
とかやったものだから、駐車場のPマークは未だリンだと思っているようです(笑
エレベーターも、1はI(アルファベットのアイ)に見えたらしく、しばらくヨウ素だと言っていました(笑
ひらがなには全く興味がないので4歳ですがまだ全く読めません。
ただ、彼はめちゃくちゃよく喋ります。しゃべりまくりでうるさいくらいですw
姉は頭の中でゆっくりじっくり考えるタイプなのでコレぞという事をパンパンと言うタイプ。
、、日本語をスラスラ読める姉は英語を読むのも早かったのです。
簡単な英語の本なら1人で読みます。
意味も理解します。
弟は、、読むことに興味すらありませんw
そんな姉と弟です。冒頭でも書きましたが、早すぎる文字の獲得は良いやら悪いやらいわれますが、私の感想としては、早く読めて悪かったことはありませんでした。お店の看板を一つ一つ読んで、散歩しながら花壇の花の名前を読んで、本を読んで、、イメージ力も空想することも好きだし、1人で物語を書いていることもありますし、特に悪かったことはない印象。
かといって読めない弟が良くないかといえばそうではなくて、(まぁ、これなんて書いてあるの?攻撃には参りますがw)
- 結論:どっちもいい!
なんだそれーーーw
でもそうおもう。やはり、早く覚え「させよう」と思うと親の力がいります。
そこで子供の興味がないにも関わらず詰め込もうとすると弊害が出るのでしょう。
お母さん、お父さん、そんなことして欲しいんじゃない!
そんな気持ちを抱かせては本末転倒。
なんでもそうですが、何故子供にそれを「させようとする」のか、何故子供にそれを「求める」のか、その気持ちのどこに親自身がフォーカスしていく必要性があると思います。
なぜなら、子供が顕著に受け取るのは、伝わるのはその部分だからです^ ^
暗唱
暗唱。
子供の頃大嫌いだった。
覚えるとか、それを発表するとか。
無闇に嫌う事を辞めてその原因を探る。
「できたという体験がない」
「覚えるという行為がめんどくさい」「覚えて何になるのか分からない」
「覚えようとすると緊張する」
「覚えよとする内容に興味がない」
ざっとこんな感じ。
そんなこんなで私は記憶系から逃げまくっていた。国語の俳句の暗唱、社会の都道府県暗記、、数学の公式あれこれ。
今思えば記憶の上に考え出すという力が乗っかっているのだと気づくのですが。、あぁ、もう遅いT_T
地理をしっかり覚えなかったので日本史の戦の場所、貿易があった場所、歴史が動いていった場所などがさっぱり分からず、地に足のつかないホント言葉通りの詰め込み式勉強をしていました。社会に限らず全般的に_| ̄|○
そんな私ももう母親。
6歳と4歳の子供がいます。
この記憶という部分にはこの時期にできることがあるのではと、一緒に暗唱を始めました。音記憶です。音だけで文章を覚えていく。すると、古典などまだ単語一つ一つの意味は分からなくてもスラスラと口から出るようになるのです。
もちろんゆっくりゆっくり。時間もたくさん使います。しかも親子関係がこんがらがってたり、無理にさせようものなら、子供の感覚や思考に南京錠がかかったかのごとく何も入っていきません。
、、耳から聞いた音がそのまま記憶されていく。そんなことが自分はできるんだと「知ること」ものは覚えられる。覚える事なんて聞けばすぐだよ!がこの暗唱の目的。
私なんて覚える事がゴールでその先のそれを使って考えるなんてとこまでいきませんでしたし、見えもしませんでした。
だからゆっくりゆっくりでいい。
綺麗な日本語を、日本の歴史を、世界の歌を音に乗せて体にダウンロードしていく。
そして、自分からそれが出る時には頭の中で無数に繋がりあってアップグレードされている。
暗唱、記憶にはそんな力があるのではと、育児6年目にしてハタっと気づいたのであります。
今年は私も暗唱頑張りま^ ^